Vol.3 700年をさかのぼる、琉球の記憶

 
 2013年8月14日  Posted by

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写真をクリックすると拡大します/シグマ、DP2 Merrill


2013年6月16日(日)
朝、ホテルを出発して、まずは残波岬へ。かなり雲がたれこめているが、荒々しい岩場によく似合っている。岬の突端へ向かう途中、大きな銅像が建っていた。

近づくと、読谷村出身の泰期(たいき)という人物の銅像で、商売の神様といわれた人だという。泰期は、琉球王朝時代の14世紀後半に、中山王の命を受け、進貢使として中国へわたり、大交易時代の幕開けに活躍する。

この像は、読谷村の発展と活性化を願ってつくられたという。
迫力ある雲のしたで見ていると、700年も前の琉球の、海を越えて世界へ向かってゆく活気あふれる人びとの姿が目に浮かぶ。

午後の便に間に合うよう、散策もほどほどに、座喜味城跡へ移動する。高台にひろがる城跡は、ひっそりしていて、夏草と乾いた土の匂いが、なぜか懐かしさを呼び覚ます。

観光客の若い女性がふたり、シャッターを押してほしいと言われて差しだしてきたのは、iPad。筐体が大きすぎて、シャッターを押すのにまごつく。世の中も変わったものだ。昔は、インスタントカメラを渡されたものだが。

座喜味城をあとにすると、一気に那覇空港へ。英ちゃんを保安ゲートで見送り、久しぶりに、画家のアマネさんの電話をいれる。

「いま、那覇にいますが、コーヒーでもどうですか」と言うと、
「いいですねえ、では20分後に桜坂で」会うことになった。
公設市場にあるCHATAN CAFEで、2時間ちかくゆんたくしたあと、ぽつりぽつり雨が落ちてきた桜坂で別れる。

ふたたび、読谷村に戻る。日曜の夜から火曜まで、下調べで読谷村を散策する予定。その日から、喜名にあるゲストハウス「琉球庵」に泊まった

(つづく)


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和田 文夫
1954年生まれ。1977年、ドイツ語専門出版の三修社に入社。83年に退社し、フリーの編集者に。月刊アスキー、翻訳の世界、の校正・編集などに協力、1997年より現アマナのimagazineの編集長、1998年より、英治出版入社。2003年、ガイア・オペレーションズを設立。著者に、『キリエの誕生』『孤島の発見』(写真集)など。
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