東日本大震災から丸二年がたちました。あのころ、私の実家はリフォームをしていて、猫といっしょに友人宅で居候をしていました。ちょうどシャワーを浴び、髪の毛をバスタオルで包み、散歩にでもでかけようかと考えていたときでした。揺れがきた瞬間、猫はばたばたとベッド の下に潜り込み、私はとっさに揺れる大型テレビを抑え、下半身に力をこめ、猫の名前を呼んでいました。揺れがおさまっても、猫はベッドからでてきません。「これはやばい」。ただ胸騒ぎがしました。
濡れた頭髪をひっつめ、ベッドの下から引きずり出した猫をぎゅっと抱きしめて、家をでました。足をとめて携帯を見つめる人で、駅前は溢れていました。五 分後には駅に直結しているスーパーにいましたが、お客はまばらでした。スーパーの店員は、倒れたらしき商品を棚へもどしたり、生鮮食料品の値札を付け替え たりしていました。魚は半額以上安くなっていました。私はその魚と冷凍の肉、小麦粉、牛乳をかごに入れました。
家をあけたのはほんの15分くらいだったのですが、めずらしく猫がすりよってきたので、膝の上にのっけて体中をなでました。電話もメールも繋がりませんでした。祖母の家にいったはずの両親は大丈夫なのだろうか。テレビをつけてみたけど、流れてくる噓のような映像に体が硬直しました。しばらくすると台所に立ち、料理をつくりはじめました。それから、数時間は料理に没頭しま した。
夜遅く、都内で働く友人が帰ってきました。顔をみたとき、久しぶりに息をするのを思い出した気分になりました。あたたかい食事をとりながら、会社や都心の様子を聞くと、恐ろしさがまたぶり返してきたけれど、自分があきれるほど幸運だったことに感謝しました。そして、言葉がなくとも誰かがいっしょにいることにとても安心しました。
テレビはつけっぱなしでした。寝ているときもつけていました。突然の倦怠感に襲われて、テレビを消したのは三日後でした。電気を消して、目をつぶった瞬間、体が布団に沈み込んでいくような気がしました。すごく深く眠ったのだと思います。
二年まえの3月11日。誰もがそれぞれ忘れられない経験をしたのでしょう。都内での暮らしは日常に戻っていますが、被災地の復興は思うように進んでいないようで、現地の方々の苦難は想像を絶します。だからこそ、あのときの思ったことを忘れないように、言葉にしてみました。日々の暮らしが平穏であることが、どんなに幸せなことなのか、自分自身に問いかけるために。そして、被災された方々がすこしでも早く、穏やかな日々を取り戻されることを祈るために。